2013年11月18日

グルジア(ジョージア)人義勇部隊

最近色々イベントやら私事で更新しとりませんでした。

さて今回はグルジア人義勇部隊。
グルジア人義勇部隊は、第2次大戦以前の1921年の旧グルジア民主共和国崩壊によって赤軍から逃れてきた白軍派亡命者たちを中核に、1941年の12月に「グルジア軍団」を設立。
大半の構成員はドイツ軍の捕虜になった後、ドイツ側に転向したグルジア人の元赤軍将兵でした。
1942年2月からこのグルジア軍団の傘下に戦闘部隊として第795、796、797、798、799、822、823、824歩兵大隊及び I./1、II./4、II./198、I./298野戦大隊の全13個大隊が編成されました。(※1)
いくつかの大隊は後々に壊滅したり解散させられています。

他の東方部隊の例に漏れず、その任務は戦線後方での治安維持や西方の防壁建造・防衛などが主でした。

これは袖章。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
短命に終わった旧グルジア民主共和国の国旗がモチーフで、GEORGIENの文字。BeVoタイプとプリントタイプが存在。


階級章は以前紹介したカフカス系義勇兵の階級章で、民族色はピンク。
一応、ロシア解放軍などと同型の濃緑色角形肩章のピンク色パイピング版が制定されていますが、支給されてないらしく使用例がありません。基本的に肩章は『普通のドイツ陸軍』の歩兵科(白パイピング)のものが殆ど。たまーに『普通のドイツ軍』の使用するパイピング色の肩章も流用してたらしく、グルジアはピンクなので装甲部隊の野戦服用の肩章(フェルトグラウにピンクのパイピング)も使用している模様。

襟章も以前紹介した濃緑やフェルトグラウ色ベースの平行四辺形もしくは台形のものの外周にピンク色パイピングを施したもの。
ただ、一部の将兵は明らかにベース色が濃緑でもフェルトグラウでもない色の写真もあります。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
白黒なので全くわかりませんが、赤かピンクなのかなぁと…


ロシアのReibertというサイトがかなり写真や情報が豊富ですが、ロシア語なのでGoogle翻訳程度ではキャプションは殆ど意味不明…
http://reibert.info/#drugie-formirovanija-i-armii.24

グルジアのサイトは更に意味不明…w
http://forum.ge/?f=9&showtopic=33937004&st=0
http://dspace.nplg.gov.ge/handle/1234/5464

とりあえず所属不明ばかりですが、いくつか写真を。

グルジア軍団の指導者であるShalva Maglakelidze大佐(44年には少将)。1942年、ウクライナのチェルニーヒウで撮影。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
42年型野戦服を着用し、襟章やアドラーはなく肩章は帝政ロシア型(帝政ロシア軍肩章は2本線で無星は大佐)。
山岳帽?もアドラーはなく、ドイツ軍の金属製コカルデのみ。


グルジア国旗を掲げ、整列した将兵たち。1943年、ドイツ国内で撮影。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
手前3人がグルジア人で、手前から上等兵、二等兵(旗手)、伍長。
42年型野戦服に英軍P37ベルト。
奥の将校と下士官たちは恐らくドイツ人ですが、クラッシュキャップ被った尉官の服が謎…
短い丈、胸ポケットなし、切れ込み式腰ポケットというスタイルは空軍フリーガーブルゼのようですが、濃緑襟で服自体の色も周りと大差ないので1次大戦時の野戦服みたいです…
模して仕立てた服なんでしょうが、よくわかりません。


第795歩兵大隊" Shalva Maglakelidze" 所属の、左はGruppenführer(分隊指揮官:伍長)、右はZugführer(小隊指揮官:上級軍曹※2)。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
2人とも36年型野戦服を着用。
伍長は第2ボタンに東方メダル2級の銀章と銅章(もしかしたら東部戦線従軍章?)のリボン、左胸に戦傷章を佩用。
拳銃は2人ともポーランドのラドムM1935あたりかと。


日時・部隊全く不明の一枚。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
42年型らしき野戦服に、兵にしては珍しく細長タイプの襟章。
襟の色が野戦服に比べ明るすぎなため、赤かピンクの生地製?


40年型コート姿の二等兵。1943年2月撮影で場所不明。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊グルジア(ジョージア)人義勇部隊
略帽はソ連軍のものかそれに近い形状のものを無記章で被り、英軍P37ベルトという出で立ち。


コートを着た義勇兵。日時・部隊不明。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
コートは前合わせやボタンからして外国軍のもの。略帽もドイツ陸軍のものではないようですが、トップの飛び出し方が異常ですw


どや顔な二等兵。1944年、フランス南部のカストルでの撮影。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
41年型以降の6個ボタンの野戦服で、標準的なドイツ軍記章スタイルに義勇兵袖章だけつけてる例。
左胸に歩兵突撃章らしき勲章の一部が見えますが不鮮明。


2人の二等兵。上に同じく1944年、フランス南部のカストルでの記念撮影。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
2人ともグルジア袖章すらつけてません。
それ以上に謎なのは、左の二等兵の肩章がパイピング無しの角型肩章、肩章ボタンの模様、アドラー刺繍糸が白やグレーには見えない点、襟章の中央線が白で両サイドの方がそれより濃い色に見える点など、海軍にしか見えないところ。
謎…


所属不明ですが、43年フランスのランスでの一枚。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
上等兵ですがMP40なんてマトモな武器もらってます。


第795歩兵大隊の二等兵。1944年のフランスで撮影。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
正規軍かレジスタンスかはわかりませんが戦闘後の撮影で、左手を負傷したようです。
かなり毛落ちした40年型野戦服に標準的な義勇記章、野戦装備です。


ちょっと謎な一枚。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
この伍長さんの規格帽、鍔が角型…?
写真の背景カットの仕方の問題かと思いましたが、一応縫い目が見えます。
こんな鍔あるのか…?もしかしたら42年型略帽に鍔を付け足したのでしょうか。
服装はいたって普通な42年型野戦服。第2ボタンに2級東方メダルの銀章と銅章。


これもちょっと謎な一枚。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
同じく伍長で41年型らしき野戦服を着用していますが、胸アドラーが謎。
胸アドラーにしては小さめに見え、何より折り込み方が44年型みたいな逆三角形。
略帽用のアドラーか何かを簡単に折り込んで縫い付けたのかもしれませんが、理由不明。


最初に載せた記念写真。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
1942年頃だそうで。
前列右の最上位の人物はGiorgi Maglakelidze大尉。よさげな将校服に革張り付き乗馬ズボンと、金かけた格好。東方メダル2級銅章のメダルとリボン両方を佩用。
後列コートの人物は少尉か中尉、前列左は上級軍曹、他は伍長。
全員が36年型や改造42年型で濃緑襟で、襟章のバリエーションも後列右から2番目の伍長以外は将校に多い仕様の細長タイプをつけた珍しい例。


5人組の記念写真。II/198野戦大隊の兵たちで、撮影時期不明。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
前列中央が上等兵で他は二等兵。
前列向かって左の二等兵はオランダ改造服で、あとは42年型野戦服着用。
後列右の二等兵のベルトが謎…
キャンバスと革で出来てるようですが、どこの国の何のベルトかご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さいw


何かしらの集合写真。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊グルジア(ジョージア)人義勇部隊
前列中央の野戦服姿の人物は大尉、他の座ってる面々および中列右から2番目の野戦服姿の人物は下士官クラス。
何人かコート左上腕に2本もしくは3本のトレッセをつけていますが、階級章なのか技能・職種章なのか不明。
また、この写真でも謎のベルトを締めてるのが何人かいます。


訓練中の兵士たち。1941年末、ルーマニアでの撮影。
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転向してすぐのためか、義勇兵記章の類いは一切なし(というかまだ制定してない?)。
36年型や40年型野戦服を着用し、ズボンはドリル生地の作業着、しかも白のもの。
略帽にはソータッシェがついてたりついてなかったりで、帽章も年式にばらつきが。しかも何人かはソータッシェの色が違います。
グルジア人なのは確かだそうですが、グルジアはグルジアでもベルクマン特務隊のグルジア人中隊の訓練風景かもしれません。


行進中の兵士たち。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
見える範囲の全員が43年型野戦服を着用し、DP28やナガン小銃を装備。
ベルトもおそらく全員が英軍P37で、ソ連軍弾盒。雑嚢代わりのソ連軍ガスマスクバッグを下げてます。


整列した分隊。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊グルジア(ジョージア)人義勇部隊
手前の3人が機銃班で、他は小銃手。
全員42・43年型野戦服を着用しヘルムも半分は42年型で比較的新しい装備ですが、ベルトはP37。
一番手前が機銃手でDP28と拳銃を装備。2・3番目は弾薬手のため小銃は装備せず、DP28用の鉄製の皿マガジン弾薬箱を装備。
小銃手たちは着剣したモシンナガンを装備。弾盒はソ連軍のもの。
階級は全員二等兵のため、分隊長は写ってない模様。


DP28の射撃訓練風景。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
丁度射撃姿勢に入って弾薬手から皿マガジンを受け取って装填してるところの模様。
ここでも全員がP37ベルトを絞めてます。
これだけ軽機が並んでると壮観です。


マキシム重機関銃の銃身交換中の一枚。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
機銃手ぐらいしか見えませんが42年型を着た二等兵。
ベルトリンクを汚さないよう、ツェルトバーンを下に敷いています。


上と同じような情景。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
弾薬手は2人ともヘルムに地味に偽装をしていますw
機銃手と左弾薬手(ベルトリンク受け係)は英軍P37ベルト、右弾薬手(ベルトリンク送り係)はソ連軍のものらしきベルトをしてます。
また、3人ともソ連軍ガスマスクバッグを雑嚢代わりに使用。


44年フランスでの1枚。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
マキシム重機関銃の対空銃座を視察中の将官。
将官は全く知識ありませんが、奇抜な台形カットの将官襟章や妙な形のアドラーや勲章なんかで詳しい方はすぐわかるんじゃないかと。


43年6~8月、ポーランドにおける第822歩兵大隊" Königin Tamara(タマラ女王)" の兵士たち。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
後々にテッセルの反乱を起こす連中。
前列手前2人が伍長で3番目は上等兵、あとは二等兵。36年型や40年型、オランダ改造服などバラバラで、武器もバラバラw


こちらも時期不明ながらテッセル島での第822大隊の一枚。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
先頭の3人はチェルケスカというカフカス地方の伝統的衣装、パパーカ(毛皮帽)、キンジャール(短刀)という出で立ちです。このスタイルはコサックでも用いられています。


ノルマンディー上陸作戦の44年6月時点では、所謂ユタ・ビーチの防御にあたっていた第709歩兵師団の配下に第795および797歩兵大隊、チャンネル諸島のガーンジー島に第823歩兵大隊、フランス中央部のリモージュ近郊に第798歩兵大隊が駐屯しています。
ノルマンディー戦では、本来は共産主義との戦いを望んで転向したのに、全く無関係な西ヨーロッパに送られたうえにレジスタンス討伐や建設作業に従事させられ士気は下がり、挙句の果て突如上陸してきた米英軍を迎え撃てと言われても、なんの意義も見いだせずにさっさと降伏しています。
まぁ当然でしょうねw
以下はノルマンディーで捕虜になったグルジア義勇兵。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
これはРОАの義勇兵と纏められてます。
襟章の違いがよくわかります。


バンザーイな感じで投降してる兵隊。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
米空挺隊員に投降した瞬間…ぽく撮ったヤラセ写真臭がプンプン。


馬車で後送されるところ。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
795大隊の兵士だそうで。命拾いして安堵しつつも、この後どうなるのかという不安が入り混じった微妙な表情w
右の馬車から足ぶらつかせてる略帽の兵はオランダ改造服、一番高い位置にいる兵が41年型らしき野戦服、棒を杖代わりにした負傷兵と馬車のもう1人は43年型らしき野戦服、負傷兵に付き添ってる兵は綿製の作業服と、やはりバラバラな格好。


米兵にベラベラしゃべってる最中。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
ロシア人ならまだしも、グルジア人なんて通訳なんざ殆どいるとは思えないので、尋問はさぞ難しかったでしょう…w


そして、この将校さん。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
第795大隊のLomtatidze中尉。44年3月撮影。
義勇将校の分際で、なんだか良さげな仕立ての服(改造野戦服?)やクラッシュキャップに高価なモール製記章という、結構金かかってそうな格好です。めずらしく完全なドイツ人将校記章を使用してます。名前や顔つきがドイツ人ではないので民族ドイツ人なのか、給料使って良い服を私費購入したのか…w
左胸の3連略綬は恐らくですが、東方メダル金・銀・銅章を各1で全て剣付。

そしてこのLomtatidze中尉もノルマンディーで米空挺の捕虜に。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
尋問受けて、ちゃっかり情報提供。



ちなみに、グルジア人部隊は惨めな東方部隊を代表してプラモ化もされてます。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
ご存知の方も多いと思いますが、ドラゴン社のグルジア義勇兵降伏セット。
モールドは一般的なドイツ軍歩兵ですが、降伏するドイツ兵のキットなら普通のドイツ兵でも良いものを、わざわざグルジア義勇兵のパッケージ絵にして出すあたりが…w





今度はグルジア人部隊に基幹要員兼お目付け役として配属されたドイツ人将兵の写真。

ドイツ人大尉(左)とグルジア人上級軍曹(右)。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
2人とも改造野戦服のようですが、付けてる記章が違うだけで見栄えが違いますw


砲隊鏡を覗いている少尉さん。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
演習中と思われます。
光の加減で何とも言えませんが、36年型と思われる濃緑襟野戦服を着用。縫込み肩章にしてる割に襟章が兵用のままです。
鋲付乗馬ブーツに拍車がついてて格好いいw


結構オシャレさんなUnteroffizier(伍長)。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
42年型野戦服を濃緑襟改造して台布付の兵科色入り襟章をつけ、濃緑ベースの胸アドラーや角型肩章といった古参気取りさんですね。


こちらは中隊先任下士官のFeldwebel(軍曹)。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊グルジア(ジョージア)人義勇部隊
上の伍長とうってかわって、あまり飾り気のない40年型野戦服着用してますが、一次大戦従軍者で略章付2級鉄十字や東部戦線従軍章を含む4連略綬など、かなりのベテランさんです。


こちらも階級不明ながら中隊先任下士官(右)とFeldwebel(左)。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
2人とも42年型らしき野戦服を着用。


退避壕か何かの入口にいるObergefreiter(兵長)。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
何ともいえませんが41年型以降の6つボタン野戦服を濃緑襟改造したものに台布付襟章や濃緑肩章、濃緑ベースの袖階級章を付けています。


こういった義勇部隊配属のドイツ人将兵と義勇兵たちのコミュニケーションはとても大変。
文化や習慣、宗教、言語が違うため、かなり苦労したと思います。
そして最低限の会話や命令ができるように発行されたのがこの通訳本。
これはグルジア語版。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊

こちらはロシア語版。
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他の言語版もあり、どれも3000語の単語が載っていて、単語はドイツ語(ABC順)→その国の言語の表記→ドイツ語での発音表記がそれぞれ記入されています。
内容はまた別の機会にでも。




そして最後に、グルジア人部隊の中で最も有名(?)なのはテッセル島の反乱を起こした第822歩兵大隊。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
反乱の流れは一応wikiに載ってます。
タイトルからwikiならではの微妙な表現や間違い等がありますが…
てか、こんなん日本語にする前に東方部隊の日本語版作ってほしいですわ。

約800人のグルジア義勇兵が、同じ兵舎の400人程度のドイツ人陸軍部隊の寝込みをナイフやこん棒で襲撃して武器を奪取し、ほぼ皆殺しだったそうな…

822大隊指揮官Klaus Breitner少佐。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
反乱時は運よく難を逃れた数少ないドイツ人で、グルジア人たちの反逆に対し激おこぷんぷん丸状態で鎮圧作戦を指揮したようです。

この人物が反乱の首謀者の1人であるSchalwa Loladse少尉(享年29歳…には見えないw)。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
元ソ連空軍航空科(!)の大尉殿で、1942年に撃墜され捕虜になりグルジア義勇部隊に志願したそうで。
少尉としてテッセル島の822大隊に配属され反乱を主導、反乱中盤の4月25日戦死w


ちなみに、反乱の数か月前にSchalwa Loladse 少尉や別の反乱主導者Asilius Indschia 中尉をはじめ、何名かの義勇兵たちに対して、Klaus Breitner 少佐の手で東方義勇メダルの授与が行われております。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊

グルジア(ジョージア)人義勇部隊
右がLoladse 少尉、左がIndschia 中尉。

ドイツ軍にとって、正直頼りない存在で最初から反乱の可能性がある義勇兵をそもそも当てにしてなかったとはいえ、いざ反逆されたら本来の敵である米英やソ連より敵意や憎悪が湧いたことでしょうw


島内のレジスタンスと合流し島の制圧にかかるも、南北の沿岸砲陣地の制圧に失敗し、その間にオランダ本土から2000人もの海軍歩兵と装甲車両が上陸し、かなりの激戦となったようです。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
終戦直前の段階で、こんな辺境に配備された上陸用の船舶や海軍の装甲車両がどれほど貧弱だったか気になりますが…w

北部の灯台は最終局面でグルジア義勇兵たちが立て籠って最後の組織的抵抗をしたそうです。
これは現在。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊

鎮圧直後w
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
縦に3つ並んだ窓を銃眼として使用したようですが、そこに集中射撃を受けボロボロです。

灯台での最後の組織的抵抗が鎮圧された後は、個人・小グループで島内各地に潜伏する義勇兵らの掃討に移行。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊
殆どは捕まったら墓穴掘らされて処刑w

そして掃討戦を生き残った200人ほどもソ連に引き渡されてシベリア流刑…



めでたしめでたし。




※1
1944年10月の時点で、東方部隊は全国家・民族合わせて96万8000人。
うち、ロシアが31万、ウクライナが25万、トルキスタンが18万、カフカス諸国が11万、コサックが5万3000、ヴォルガ・タタールが4万、クリム・タタールが2万、カルムィクが5000という内訳。
更にカフカス諸国の内訳は約4万8600人が独立した「野戦大隊」、約2万5000人がドイツ人師団配下の「歩兵大隊」、2万1595人が建設部隊、約7000人が武装SS、および空軍となっています。

野戦大隊と歩兵大隊との違いですが、全ての東方民族部隊の上級組織として、グルジア軍団とかアルメニア軍団とかアゼルバイジャン軍団とかの各民族ごとの軍団は形式上は存在するものの、その軍団司令部には直接の指揮権がありませんでした。
各軍団の兵力は殆ど全てが大隊規模に切り分けられ、各大隊はドイツ陸軍各方面の軍や軍集団司令部管理下で独立運用された独立野戦大隊となりました。

この野戦大隊から抽出されたのか、全く別ルートで編成されたのかは分かりませんが、同じような大隊でもドイツ人師団の配下に組み込まれたのが歩兵大隊です。
とはいっても全歩兵大隊がドイツ人師団に組み込まれたわけでもないようです。
野戦大隊もドイツ人師団に組み込まれてたりしますし。
ぶっちゃけ、ほぼ名称だけの違いなのかなぁとw
とりあえず、1個大隊は4~5中隊で構成され最大で800人程の規模でした。

このあたりは友人のハルトマンがドイツ語に堪能なため、lexikonを色々と翻訳してもらいました。感謝感謝。



※2
以前の記章に関する記事で襟章全周をトレッセで囲んだ階級章は少尉としていました。
が、改めて色々な写真見てると、以前から疑問に思っていた比較的有名なトルキスタン部隊のシュピース(中隊先任下士官)の袖線をつけた写真がこの階級章です。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊

これは北カフカス部隊。
グルジア(ジョージア)人義勇部隊

いくつかある階級章一覧では、義勇兵の階級名称としてはZugführer(小隊指揮官)で統一されているものの、これにあてはまるドイツ軍の階級が資料によってはLeutnant(少尉)もしくはOberfeldwebel(上級軍曹:個人的訳)となっています。
少尉が小隊長となるのは当然として、Oberfeldwebelも小隊指揮をとる階級です。
また、テッセルの反乱の主導者のSchalwa Loladseもドイツ語でLeutnant 、英語でもsecond lieutenant と、日本語でいう少尉となっております。(写真通りで昇進してなければですが…)
まぁこれなら義勇兵の将校クラスは少尉~大尉のみとなり、東方大隊の大隊長は必ずドイツ人であるべきなのに義勇兵に少佐まで存在する矛盾は解消できます。

ただ、このZugführerの1つ上の階級はStellvertretender Kompanieführer (副中隊指揮官)、更に上の階級はKompanieführer (中隊指揮官)、Battalionführer (大隊指揮官)となっております。順当に考えれば中尉、大尉、少佐となってしまい、Zugführer は少尉となってしまいます。
とはいっても、最大の疑問点であるシュピース袖線つけてる説明がつきません。肩章の2本トレッセを袖にもつけてる変則例かとも思いましたが、変則例でも袖全周にトレッセを巻くことはありません。
それに、Zugführer が少尉だったとしても、中尉~少佐の肩章と少尉の肩章が別物ってのもなんだかしっくりきません。
規模や編成内容によっては本来の階級ごとの役職と異なる場合が多分にあるので、義勇部隊もそういった例なのかも…


…正直、書いてて自分でも分からなくなってきましたw
そもそも帝政ロシアやソビエトのように尉官4階級制なのかなぁ…とも思いましたが、やはりシュピース袖線つけてるのがネックで確信もてません。

とりあえずは、自分のブログでは今後Zugführer は下士官の最高階級にしとこうかなぁと思います。


追記
今さらながらこの「グルジア」が「ジョージア」になっちゃいましたねw
名前変更面倒なので、タイトルだけジョージアにしときます()


参考サイト
http://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Gliederungen/Infanterie.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Georgian_Legion_(1941-1945)
http://reibert.info/#drugie-formirovanija-i-armii.24
http://forum.ge/?f=9&showtopic=33937004&st=0
http://dspace.nplg.gov.ge/handle/1234/5464






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